志賀直哉旧居


2003年11月7日 志賀直哉旧居を見学してきました。

志賀直哉旧居への地図

(パンフレットより)


 志賀直哉  (1883.2.20-1971.10.21)

 ●大正14年(1925) 4月、京都山科から奈良市幸町に移り住んだ。奈良への引越しを決めた
             のはかねてからのあこがれであった奈良の古い文化財や自然の中で、
             自らの仕事を深めて行きたいという希望からであった。

 ●昭和3年(1928) 志賀直哉自身が高畑の家を設計し、京都の有名な「数寄屋造り棟梁
             下島松之助」が建てる。

 ●昭和4年(1929) 4月、高畑裏大道の新築した家に移り住む。

 ●昭和13年(1938) 3月までここに住み「暗夜行路」を完成させ、他にも多くの作品を書き残した。
 



 旧居の見どころ  (掲示板より)

 @ 直哉が設計して京都の数奇屋大工に建てさせました。建物は数寄屋造り(茶屋風の
   建物)を基調にして、洋風と中国風を取り入れ調和しています。

 A 彼の名作「暗夜行路」を完結した書斎・白樺派の精神を生かした六畳の茶室・直哉
   の居間・子どもの居間を庭園を通りながら見ていただけます。

 B 高畑サロンと呼ばれ文化人・画家等が集まり、研究や娯楽の場となった天窓の大き
   いサンルームへ入り、隣室の広い洋風の食堂も見られます。

 C 妻子を愛し、来客等を大切にした彼の心が表れています。即ち夫人の居間・子ども
   の勉強部屋と自由部屋及びサンルームが、南庭園に面して日当たりがよく、それぞ
   れその部屋の目的に相応しい工夫をこらしています。

  



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                     志賀直哉旧居へようこそ!

                

           ホームページ作成を考えていない時に撮った写真ばかりです。
           つたない写真ですが様子が分かればと思い載せてあります。

       「LUMIX CLUB PicMate」がリニューアルされ見えなくなっています。残念!



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(2006.09.14作成)